2011年3月28日月曜日

災害支援のいま 宮城県石巻市より

NGOのピースボートと共に、被災地である宮城県石巻市に向かった
オンザロード副理事である岡本舞子より現場の状況レポートが届きました。

メディアが伝えることができない、被災地の今を知ってほしい。
その思いで、連日極寒のテントより報告をもらっています。

私たちができること。
だんだんと明確になってくるはずです。
考え続けていかねばなりません。






以下、現地からの報告です。




1日目

NPOやNGOで、一般ボランティアを募集して、支援へ参加するのは初の例とのこと。
石巻駅近く、専修大学の雪芝生の上にテントを張り、その途中にもう、ミーティング!
そしてすぐに、全国から来る支援物資をトラックから出して、倉庫へバケツリレー。

終わってすぐに、車に乗り込み老人ホームへ。
北上川と海が一緒に氾濫して、老人ホームの中まで来てました。
ご老人たちは避難し終わっていて、残ったのはヘドロと、
ヘドロの付いた家具や生活品でした。

私たちの班は、老人ホームの職員の方たちと、
ヘドロをベトベトになりながら、掻き出しました!
その老人ホームの周りの家屋は全壊ではなく、半壊。
生々しく生活の苦しさが垣間見れました。
車は門に乗り上げ、船は街のど真ん中に何隻も。

今は炊き出しに行く車の中ですが、窓の外は、
自衛隊もまだ手を付けておらず、全壊、半壊問わず、荒れています。

脈略のない文になりますが、
皆さんにいち早く生のレポートをお届けしたかったのです。

とにかく、人手が足りない!


2日目


今日は朝からお寺の避難所へ。
260人の人たちが生活していました。
その中でも、海近いご老人の半壊の家に行き、
一階部分の撤去のお手伝い。

グチャグチャになった一階の、倒れまくったタンスや電化製品、
全ての生活用品を、ゴミ袋にひたすら詰め、
家具出して、カーペットをはがして、畳を剥がす作業。

大きな家財道具なんて、おじいちゃん、おばあちゃんは動かせません。
そんな中、おばあちゃんは、思い出の品を涙目で探していました。
それでも私たちに感謝の言葉と、飲み物を用意してくれたのです。

昼、少しだけ避難所の子どもたちと遊びました。
避難所の子どもたちは めちゃくちゃ元気で、笑顔で
「全部流されたから、お絵かき出来ないけど、しょうがないよ」
って言って、 私に不自由な文房具で絵を描いてプレゼントしてくれました。
皆、これでもかって位の寛大さで、感謝を惜しみなく与えてくれました。

皆言っていました。
なくなったものは戻せばいい。
ただ仕事がないのが不安だって。

人間は思ったより強い。
でも、これだけのとこから
生きていくのはやっぱり大変。


3日目

今日も石巻港近く、洞源院に避難している人たちの家々を回って、
家の中に流れ込んだ、がれき、土砂の撤去をしました。

行政は復興への一切のプランなし。
NPO、NGOがとっさに組んだプランに任せっきり。
ニュースではさも把握しているように 正当化している意見を流しているが、
実際は、行政は何も行動していません。

半壊の家屋の、今後の問題は先延ばし。
正直、何万軒という家庭に、まずは援助してあげなければいけない現状なのに‥
このまま老人だけでは片付けられない家屋を放っておけば、
後々、とんでもない問題となります。
例えば、感染病の発生がまず考えられます。

今、多くの人が、原発の問題を重要視しているが、
ここ被災地で、誰もそんな心配はしていないのです。
と、いうより心配していられない状況です。
もはや、援助物質、炊き出しの問題はごくわずかで、
未来の不安が、被災者の心を悩ませているのです。

今の問題。
今後の彼らの生活を考えてあげること。
自己満じゃなく、メディアに流されることなく、動けるボランティアが欲しい。
考えなければなりません。

本当に人手が足りない。
誰でもいいから、現場で、彼らのニーズを聞き、動いてあげられる人に来て欲しい。
そして今後はそんな受け皿を作れるように、私も動きたい。

被災地で出会った、
おじいちゃん、
おばあちゃん、
子どもたち、
全ての人が最低限に生きれるような未来を創っていきたい

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