2011年3月31日木曜日

宮城県石巻市への支援から感じたこと

皆さん、これまで、5泊6日の被災地支援レポート、
読んでいただいてありがとうございました。

今日は最終章。

まいこより、帰京してからの最後のレポートとします。


漁業町、宮城県石巻。

死者 2160人
行方不明者 2720人
避難者 2万5484人 (3月27日現在)





毎日、やれることは沢山あった。 ありすぎた。





その中でも私たちのグループは主に、
屋内に入り込んだヘドロのかき出し。

被災者への炊き出し。

個人家屋に流れ込んだ、ガレキ、土砂撤去。

隣の家の畑に流された家そのものや、家電を運んだり、
崩壊した屋根の片付けをしていた。


そして‥ 一番の思い出となった、人と人との交流。


皆、瞳の奥に悲しさと絶望を抱きつつ、 もくもくと生きていくことを考えていた。


私たちにもその悲しさは止めどなく伝わってきた。


出会った直後、片付け始める最初は、皆、私たちに笑顔はなかった。

でも私たちが帰るころ、地震、津波が来た時のことを、語りだすのだ。



ある人は、
「隣の家のおじいちゃんは流されちゃってね~・・・死んじゃったんだよ。
 耳が遠かったみたいで、警報が聞こえなかったんだ。」
と、さらっと言ってた。


ある人は、
40年漁師をやってて、今更他の職業へ移れるわけがない。
船も道具も全部流されて、国はなにを保証してくれるのか、と。


ある人は、
頑張れって、何を頑張るの?
頑張る先になにがある?
頑張れるものがなにも残っていないのに・・・


そして、毎日片付け終わって帰る頃には、 自分たちの物資を分け与えてくれ、
私たちの帰りを泣いて見送ってくれた。


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政府の対応は遅く、現場には行き届いていない現状。


だからここからが、民間団体や、個人ボランティアの正念場だと思います。

一刻も早く、一人でも多くの生活を追いやられてる人たちの力になってあげたい。


自己満じゃなく、誰かのために生きていけること。

限りなく、果てしなく、そこへの追求を考えていくべきだと考えます。


私も一生懸命考えたい。

彼らをどのように幸せにしていけるだろうか。

それは、こうして日本が被害にあったからじゃない。

世界には、これより酷い環境で生き抜いている人たちが沢山いる事実が
ずっとずっと前からありました。


だから今、日本がこうなったことにはきっと深い意味があると思います。

ずっと考え続けなければならない、永遠のテーマ。



そして今後、オンザロードでのプロジェクトで、
大きな力が必要になった時は、皆さんの力を貸して下さい。


その時は、一緒に笑顔を増やしていきましょう!

これから、日本を、世界を明るくしていきましょう!


皆、人の幸せを願う、同じ人間だと信じています。



最後に、たった今届いた、 お手伝いさせてもらった海苔工場の方からの
お礼のメッセージを掲載させていただきます。


先日は心温まるお手伝い本当にありがとうございました。
皆様の応援に復興への思いを改めて強くしました。
こんな田舎者にもかかわらず、皆さん気さくに接してくれたのが何より嬉しかった。
汚い仕事にもかかわらず、一生懸命しかも手早く仕事をして頂き ただただ頭が下がりました。
復旧したあかつきにはきっとみんなで遊びに来て下さいね。
私達も皆さんから頂いたパワーで頑張ります。
本当にありがとうございました。

1 件のコメント:

  1. 舞子ちゃん、お疲れさま!

    舞子ちゃんの行動力には、いつも尊敬させられます。

    日本でも頑張って!!

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